« おかいもの | メイン | 平和な日々 »

2005年08月15日

8月15日という日

言うまでもなく終戦記念日であり、今年は60周年です。

去年くらいから日本の近代以降の歴史、
とくに昭和史関係の本を読み漁ったこともあり、
今まで以上に先の戦争について考えることが増えました。

僕が今漠然と感じていることは、
日本人はいまだに先の戦争を引きずっているんだなっていうこと。
敗戦という事実に向き合うことをせず、うやむやのうちに
なんとなく清算したつもりになってるだけで、
根本的解決をちゃんと果たせてないのではないか、ということ。
それは未だに靖国参拝や教科書問題
といったことが議論になってることから見ても明らか。

日本人の国民性とか、鎖国主義時代から続く島国根性とか、
外交が下手な要因はたくさんあると思います。
それはそれでこれからも解決していかなければいけないんですが、
まずは自分たちが今までに起こしてきた事実をきちんと伝えること、
記憶から消し去らないようにすることが大事。

だからこの8月15日という日は重要なのです。
自分もついつい忘れがちなので、あえてここに書いてみました。

あんまりテレビとか見れない生活してますけど、
節目の年なのに、あまり話題にあがっていない気がして、
ちょっと危機感を感じたもので。

投稿者 hiromi : 2005年08月15日 20:32

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hot-blood.net/cgi/mt/mt-tb.cgi/291

コメント

原爆とか空襲とか、結局国民自身が疲弊して心身に癒せない傷を負ってしまったから、自分がアメリカにやられた被害者だ、という強い意識を捨てられずにいるところを見直すところから始めた方がよかったと思うな。

確かに一般国民は十分被害者だけど、それを慰めあう前に、他の国の被害者たちを思い遣る態度がないと、そういった国の人たちからただの自己陶酔してる人みたいに思われちゃっても仕方が無い気がするなぁ。

私は愛国主義者だと自認してるんだけれども、それは、自分の国の良い面も悪い面も、客観的に正しい事実に基づいて受け入れて、問題点をどうやって解決していけばいいのか考えることだと定義してます。

戦後の日本の外交は、下手は下手だけれども、それ以上に妙にヘンなプライドとか自己憐憫が感じられて、特にドイツのような清々しい態度と比べると、よっぽど自分のことを客観的に見られない国なんだなぁと思っちゃう。

だって、ドイツの首相は戦犯の墓地に行ったら逮捕されちゃうという法律があるし、アウシュヴィッツ開放60周年記念演説では、シュレーダー首相が涙を流しながら過去を悔いる演説をした(http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2005/01/post_5.html)。

ドイツ兵たちは、戦争中は罪の無いユダヤ人を大量殺戮した上、戦争に負けた直後は、証拠隠滅のために収容所跡を隠そうとしたりまでしたけれど、結局この事実に向き合って、誠実な謝罪をしている。

自分の負った傷を嘆くよりも、他人に負わせた傷を嘆く姿の方が、よっぽど人間として立派だし、プライドをかけるに足る勇気ある行為だと思うのだけれども。。。それに気付くには、まだ国民の成熟度が足りないのかなぁ、と真剣に思ってしまう今日この頃。

投稿者 Chib'eri : 2005年08月30日 23:02

長文コメントありがとう。
じっくり読ませてもらいました。
やっぱり我々こういうテーマには熱くなるね(笑)。

中華思想とはまた違うけども、外のことをあまりに知らない日本人は、
やっぱり日本民族の範囲内でしか物事を考えられないんだと思う。
ある意味すごく自己中。
だから自分たちが受けた傷あとを舐めあうことしかできないのかも。

まだまだ未熟な気がするよ、日本人って。

投稿者 hiromi : 2005年08月30日 23:58

コメントしてください




保存しますか?